彼岸此岸の挟間に衣更着

※元ネタ:都市伝説【きさらぎ駅】
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彼岸此岸の挟間に衣更着


  カタン、カタン、コトン、コトン。

 1/fに揺らぐ電車に身を任せ、人の呪い 《真人》 は、がらんどうの車両で “己が映る” 窓を眺めている。
 本来ならば、窓や鏡の類に呪いの姿は映らない。だが、真っ黒に塗り潰された車窓には、真人の継ぎ接ぎの一本一本までがはっきりと映っていた。
 呪物、はたまた、呪詛師や呪術師が作り出した道具の影響でもない限り、考え得る答えは一つ。

(俺を人間と間違えた……わけないか)
 偶々停車した駅に、同族が棲み憑いていた。
(生まれたての呪いの保護、って気もしないし)
 大地と森より若く、海と人より長く生きた ――
(縄張り意識高い系?)
 此処は、名も知らぬ呪いの領域内。
 宛ら心音と誇るように、呪いが電車を歌わせる。

 カタン、カタン、コトン、コトン。
 カタン、カタン、コトン、コトン。
 カタン、カタン、コトン、コトン……

 ……ガタン。

きさらぎ

 電車の乗り方を覚えておくといいだろう、と。額に縫い目のある呪詛師からの提案が、事の全ての始まりだった。

 呪いが見える人間を欺くため、面倒だが切符を買う手順を踏み、適当な車両に乗り、飽きるまで線路の円環を廻るだけ。何処の駅で降りようが、呪詛師が頃合いを見計らって回収むかえに来るだろう。
 動き出した電車の中、好ましい負の代謝を撒き散らす人間達に囲まれながら、真人は気楽に構えていたのだが。
 発車して、停車して、人を吐き出し飲み込んで。
 真人が乗り込んでから数えて、三度目の発車。その瞬間、人間が皆いなくなった。
「は ―― ?」
 生きるべく知れと本能が告げるままに。
 瞬時に研ぎ澄ました感覚が拾う全てが、真人に確信を与えていく。
「何で、俺を生得領域に入れたの」
 此処は、名も知らぬ呪いの領域内。
 答えぬ呪いの代わりのように、そっくり模された電車が歌う。

 カタン、カタン、コトン、コトン。
 カタン、カタン、コトン、コトン。
 カタン、カタン、コトン、コトン……

 ……ガタン。

『 《きさらぎ駅》 、 《きさらぎ駅》 』

 アナウンスの残響の中で左右に開いた扉の先は、車窓と同じく一面の黒。 《きさらぎ》 なる駅の姿は下車しなければ分からおしえないとばかりに、乗降口が真人を待っていた。
「……仕方ないな」
 消え失せた残響に代わるのは、真人の呟きだ。
「いいよ。お気持ち表明に付き合ってあげる」
 呟きはすぐさま明確な言葉となり、名も知らぬ呪いへの呼びかけに変わっていく。
「短い付き合いだろうけど!」
 生得領域ならば脱する手段があるはずだ、と。
 突然 ―― 或いは理不尽に ―― 未知に放り込まれたとは思えぬ軽やかな足取りで、真人は車両とホームの境界線を飛び越える。
 瞬間、一面の黒は薄闇の光景と化した。

「古い映画と本の中みたいだ」
 寂れた田舎の駅らしき、古寂びたホーム。
 眼前に広がるモノを見てしまえば、背後で遠ざかる電車の音など、真人には “もうどうでもよいモノ” であった。
「じゃあ、出口の手掛かりを探させてもらうよ」
 罅割れたコンクリートの上に、ぽつんと置かれた無人のベンチ。赤茶の錆に侵食された駅名看板には、アナウンスが告げた 《きさらぎ》 の四文字が並んでいる。その下にある掠れた五文字は、 《やみ》 と 《かたす 》の字を象って、前後の駅の名を示していた。
(単なる心象の一部パーツか、それとも―― )
 疑問の解を求めて動かされた視線は、ある一点で止まることとなる。
( ―― !)
 駅名看板に目を遣った、ほんの十数秒。
 その僅かな間に、空だったはずのベンチで少年が携帯端末を操作していたのだから。

(こいつ、心象の一部パーツじゃない)
 世界を魂で認識する真人が見紛うはずなどない。
(生きた人間だ)
 真人に映る少年の魂を表すならば、恐怖と孤独に辛うじて抗う不安定な状態だ。端末を必死に見つめる様子から察するに、画面に映る情報が彼の拠り所なのだろう。
(あーあ、可哀相に)
 空虚な憐みを放り投げて視線を外すと、真人の背に幽かな声が届いた。名も知らぬ呪いは今も語らず。ならば、その発生源は ―― 少年が震わせる喉の他にない。
「……人がいる」
 弱々しい声は、気まぐれな呪いを振り返らせる力を持っていた。真人を、呪いを、視認出来なければ表せないはずの言葉を。
「……俺が見えるんだ」
 常ならば、他の呪いの餌食など殆ど興味の対象外だ。しかし、置かれた状況が真人の好奇心を擽り、興味を膨れ上がらせていく。
 未知の腹の内で、 “人” と信じて安堵する魂。誑かして弄んだなら、死の際にどのような代謝を残して散ってくれるのだろうかと。
「ええと、今、なんて ―― 」
「君と似た独り言。ねえ、隣、座っていい?」
 穏やかな笑顔と声色を作れば、接近への警戒は瞬く間に薄れていった。
「は、はい……どうぞ」

 隣席に腰を下ろし、さり気なく観察する。
 少年は真新しい ―― 人間が制服と呼ぶ ―― 衣服に身を包み、前髪で右目を隠していた。態々視界を遮る必要性に疑問を覚えるが、縫い目の呪詛師がいつぞや言った、所謂 “そういう年頃” なのだと結論付けた。
「あの、生きてる人……ですよね?」
「もちろん。ちゃんと生きてるよ」
 問いかけに素直に答える。嘘はついていない。
「ああ……よかった」
 至近距離ともなれば継ぎ接ぎの異様を訝しむと予想したが、意外にも、少年は真人の外見に言及せずにいる。一帯を満たす薄闇に視界を鎖されているとも、細部まで認識出来ないレベルの人間とも考えられたが ―― 移ろう興味に、一先ず答えは先送りとなった。
「熱心に何を見ていたの」
「家族と連絡を取っていて」
 携帯端末を指差すと、少年は照れを隠すようにアプリケーションを閉じた。こんな状況だ、混乱塗れの文章を見られたくなかったのだろう。
「電波は通じるんだ。運が良いね」
「はい! あとは ―― 笑われるかもしれないけど」
 一つの機能を止めた指は澱みなく硝子を滑り、もう一つの機能に動けと命じていく。
「都市伝説を調べていたんです。この駅、有名な 《きさらぎ駅》 かもしれない……って」
 真人に向けられた画面は、如何にも人間が怖がりこのみそうな字体と色で、都市伝説のウェブサイトを主張していた。少年が先刻まで読んでいたであろう 《きさらぎ駅》 のページを。
「俺、それ初めて聞いたかも。見せてくれる?」
「いいですよ」

 手渡された端末に、見よう見まねで指を置く。
 普段触れている紙の本とは違った質感の文字を追えば、情報は物語となり、その全貌を真人へと表していった。
(都市伝説、なんて単語で人間は表すけど)
 時は十数年前。舞台はインターネット掲示板。
 電車の異常に気付き掲示板に助けを求めた書き込みの主は、存在する筈のない謎の駅に降り立ち、やがて消息を絶ったという。
(呪われたんだろうね、君みたいな呪いに)
 存在しない駅の名は、まさに今、真人と少年が存在する場所と寸分違わぬ名を冠していた。
(いや ―― この都市伝説が “君” だった?)
 記事を読み終え、携帯端末を返す直前、ちらりと線路に視線を落とす。名も知らぬ呪いへの語りを込めながら。

「ありがとう、読み終わったよ」
「どういたしまして」
 少年は携帯端末を受け取ると、暫しの逡巡の後、再びの問いを投げかける。
「読んでみて、どう思いました? ここの事……」
 道理で、と。問いを受けて、真人は得心する。
 少年は現実を認めなければならない。同時に、質の悪い幻想なのだと諦められない。故に、駅名看板が明示するにも関わらず、電子の海に決断の糸口を求めていたのだ。都市伝説の中に消え去った、哀れな人間がそうしたように。
 異なるのは、電子機器を介さずとも言葉を交わせる存在の有無。現実か、幻想か。少年の決断は、真人の言動一つで分岐するだろう。

「うん。俺も 《きさらぎ駅》 かな、って思う」
 真人は現実を肯定する。嘘はついていない。
 だが、断定もしなかった。
 情報が瞬く間に拡散する時代だ。直ぐに呪術師が嗅ぎ付けて、都市伝説の正体たる呪いは祓われ、この 《きさらぎ駅》 は後に発生した同質の呪いの可能性が高い。祓われずに生き延びた可能性も、また然り。
「事実は小説より奇なり。如何ともし難い現実だ」
「……やっぱり、僕達は……」
「俺は必ず現実ここから出ていく。君は?」
「……僕は」
「現実を痛感して、君の “こころ” は決まった?」
 態と魂の別名を持ちだして、少年の決断がより強固になるよう嗾ける。
 己の意思で破滅への道を踏ませるのも一興だ。意思が強固であればあるほど、後戻りも後悔も無意味な域まで、愚かに突き進めるのが人間なのだから。
「僕は」
 すました表情の裏側で、嗤いながら応えを待つ。
 俯きかけた少年の顔が前を向くのに、然程時間はかからなかった。恐怖も不安も引きずりながら、魂が奮い立っていくのが見えた。
「生きて元の現実ばしょに帰りたい。帰れるのなら、何だってやってやる」
 上手く運んだ目論見の、何と愉快なことか。
「あははっ! いい答えだね!」
「茶化さないでください! 恥ずかしくなるじゃないですか……」
 少年の決断に送られたのは、冗談めいた響きに隠した真人の嘲笑。そして ――
「恥ずかしがってる暇は無いみたいだよ。ほら」
「……! 次の、電車!?」
 ガタンゴトンと迫り来る、呪いの歌であった。

 近づくほどに歌を潜め静かに停まった車体には、薄闇を照らす割れた前灯と、薄汚れた金属の外装。車窓を隔てた座席の上では、古い形の照明が不規則に点滅している。乗降口は狙い澄ましたように真人と少年の眼前にぴたりと付いて、無言の口を開くばかりだ。
「都市伝説には無かった展開だけど……乗る?」
 視線と指先で訊ねると、少年は躊躇いなく首を縦に振った。
「乗ります」
「即答するんだ」
「最後の書き込みから十年以上経つ話です。同じ行動を取ったって、助かる保証はありませんから」
「同感。行くしかない」
 何をやっても、君は助からないけれど ―― 真人の呪いの本能は又も嘲りを隠し、肯定にて誑かす。
 肯定が背を押し進めた一足先。車内に飲まれた少年の後姿に見下した目を細めた真人は、発車のアナウンスを耳に、色褪せたシートに体を預けた。
理由わけの一つもアナウンスされないんだ。余所の獲物で少し遊ぶくらい、大目に見てよ)
 其処は少年の真向い。惨劇の特等席となるかは、名も知らぬ呪いの気分次第か。

 カタン、カタン、コトン、コトン……
 ジリジリ……ジリジリ……バチン!

 走行音の合間に明滅が弾けて闇に落ちる、無言の車両。警戒と緊張、退屈と悠長、交わらない代謝が言葉を断つ。そんな沈黙がどれほど続いた頃だろうか。

 幾度目かの暗闇の中、少年の魂がふと揺らぐ。

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