彼岸此岸の挟間に衣更着

※元ネタ:都市伝説【きさらぎ駅】
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彼岸此岸の挟間に衣更着

伊佐貫
 否、其れは波濤であった。

 絶望、心酔、激昂、憧憬、悲嘆、崇拝、憎悪、親愛、苦患、救済 ――
 名を知る代謝が、名を知らぬ代謝が、融合と反発を繰り返しては新たな代謝となって襲いかかる。
「――ッ!?」
 真人の思考と動作が追い付かないほどの、無数の魂の代謝が瞬きする間に叩き付けられた。
 故に、仕方がなかったのだ。
 単純な一直線の刺突すら避けられなかったのは。
「ああ、危なかった危なかった」
 咄嗟に首を傾けていなければ、頭部に直撃したであろう一撃。
 三つの束に結んだ髪の不運な一束が千切れ飛び、衝撃で舞った一本一本がはらはらと落ちていく。
「急にどうしたの」
 大量の代謝ひとつひとつを相手していては、非効率的で分が悪くなるだけだ。
 故に、真人は明確な敵意にのみ集中する。
 そうすれば、死にかけの照明を反射して蠢く透明な海洋生物が見えた。
「俺、君に何かした?」
 無数の代謝、その唯一の発生源 ―― 少年が居た真向いの座席に。
「…… “何か” か……」
 槍持つ透明を背後に従え、少年が口を開く。
 喉の奥、腹の底から響く声色は、寂れたホームで恐怖していた彼のものではない。
「僕が “何か” の一つですよ ―― 真人さん」

 あまりにも唐突な意外に、反撃の機が削がれる。
「…………はぁ?」
 むしろ、動作が止まり僅かな隙を生んでしまったほどだ。
 だが、隙をつけたはずの少年の次撃とその予兆は見られない。
 名も知らぬ ―― 今は仮の名を冠した ―― 呪い、 《きさらぎ駅》 の仕業かと、凪ぎゆく激情の中で状況を見定めようとしている。如何にして真人を祓うか、その意志を不動のものとしながらも。
 目で睨み合い腹を探り合う中、敵意への集中を切らさぬ一方で「おかしい」と真人は考える。
(名乗った覚えなんてない。やたら五月蠅い代謝の理由だって、持ち合わせてなんかいない)
 何故。少年は真人の名を知っているのか。
 何故。透明な海洋生物 ―― 海月型の式神を従えているのか。
 何故。あの明滅の一瞬で、見えるだけの人間が戦う術を知る人間に変化したのか。
 魂が、少年が少年であると証明しているのに。

(人間なら “人が変わった” と表現するのかな)
 全ての何故が興味を更に掻き立てていく。
 全ての何故が満足するまで、少年は足掻いて生きてくれるだろうか。 《きさらぎ駅》 が彼を殺しに掛かるまで。
「たった数分前に会ったばかりの、俺が?」
 真人は海月の式神を真似て、手の先を鋭く尖らせ、細長く伸ばした腕を撓らせる。態と少年が避け易い位置に突き刺せば、狭い車内、飛び退いた少年の身が予測範囲内に着地した。
「らしくもない嘘を吐いて!」
 少年の命令さけびに共鳴し、式神の腕が穿ち返す。
「そんな呪いじゃないでしょう、あなたは!!」
「知った風に!」
 真人は未変形の片手で吊革を掴み、身体を跳ね上げて式神の攻撃を回避した。そして、そのままの勢いで変形中の腕を手すりに絡ませ、吊革から吊革へと伝い、少年に向けて一気に間合いを詰めていく。
「いつ知ったっていうのかなあ! 俺の事!」
 呪いを祓わんとする少年だ。黙って接近を許すはずなど無い。式神で全身を覆い、透明な鎧で真人を迎え撃つ。狭く回避が困難ならば、防御こそが最善であった。
「最近と言うには、少しだけ遠い頃に」
 式神の鎧越し、少年の代謝は急接近への僅かな動揺と警戒のみ。眼差しは忌々しくも真人が模した槍の先に。まるで、真人がまだ好奇心で遊びたがっている ―― まだ殺す気はないと理解しているかのように。
「変なの。過去に遭ったみたいな口振りだ」
 鎧に触れるか触れないかの位置で槍を止め、真人は訝し気に少年を見下ろした。
 人が変わったという表現だけでは、説明がつかない少年の在り様。それが何という名で呼ばれる現象か。この短い交戦で得た僅かな欠片が、真人の内で答えに相応しい言葉として組み上げられていく。
「君さ、もしかして」
 滑稽ながら、どこか道理にかなう答え。
 真人が嬉々として少年に語ろうとした、まさにその時であった。

『谺。縺ッ鬯シ鬧???ャシ鬧』

 大音量の壊れたアナウンスが真人と少年の耳を劈き、車両に似せた心象の空間が激しく傾いた。
 攻防の構えが解ける。腹の底を不快な浮遊感が侵食する。照明から火花が散る。手すりが歪曲する。座席がぎしぎしと絶叫する。
「く……っ!」
呪霊おれにも解らない言葉使うなよ!」
 傾きと呼べなくなるほど揺れに揺れる空間で、前後左右にかき回されたふたりの距離が離れていく。浮遊と衝撃の翻弄の果てに、真人と少年の身は車両の端と端に叩き付けられ ―― 再び視線が重なったその時には、ふたりの間は裂け目と吹き荒ぶ風で断たれていた。
「車両が……」
「裂けてる……」
 真っ二つになった車両は、片方に少年を、もう片方に真人を乗せて真逆の方向に遠ざかっていく。
「はは、お別れの時間が来たみたいだ」
「―― っ!」
 真人がひらひらと手を振れば、少年は焦りに衝き動かされて裂け目の端まで駆け寄った。式神の名を叫び、最後の足掻き ―― 無数の触手の一斉攻撃を、せめて一撃でも届かせようと。
「おっと……」
 多数のフェイクに隠されて奇跡的に届いた本命の一筋が、真人の頬を赤く彩る。
「あ、一発当たり。咄嗟にしてはやるじゃないか」
 滴る赤を指で拭いながら、真人は少年の必死を嘲笑った。無念と呆然で膝をつく姿に、大きく大きく手を振って。
「祓えなくて残念だったね! ばいばーい!」
 小さく小さく遠ざかる少年が、暗く見えなくなっていく。か細く聴こえなくなっていく。
 最後か、最期か。真人が聴いた少年の声は ――

「せめて、僕の……が……蝕み……ように……」

 少年を乗せた車両は、円い闇の中に消えた。
 真人を乗せた車両も、霞の如く消えてしまった。
 レールとバラストの上に放り出された真人が体勢を立て直す頃には、円い闇は苔むした混凝土に縁取られたトンネルの入り口に変わっていた。
(死んだ?)
 覗き込んだ深淵の中に少年の魂は見えない。
 しかし、真人は少年の死を確信出来なかった。真人なりの答えを出してしまったが故に。
(いや……仮に思い付きこたえが合っているとしたら、まだ死んでいないはず。いつ死ぬかは、きさらぎ駅との力量差次第ってところかな)
 未だ頬に滴る赤が、答え合わせだった。
「毒を使えるようになるんだね」
 損傷した部位の修復が遅れている。修復不可能まで至らしめるには足りない、恐らくは未完成の毒。未熟も脆弱もいいところだが、肉体りんかくこんげんの間に何時消えるとも分からない靄がかかって気分が悪い。
「 “未来の君” は」
 真人を知った上で時を経なければ練り上げられない、真人に特化した対抗策を少年は持っていた ―― 持つまでに成長した。
「未来の個体と入れ替わるって、君の術式をどう使えば出来るわけ? これじゃあ都合のいい三文SF小説だよ、きさらぎ駅!」
 答え合わせの終わり、不快と不愉快を吐き切ろうと、きさらぎ駅の名に叩き付ける。
「…………」
 きさらぎ駅は依然として静かなまま。
 暗中にも変わりはない。だが、不思議と風景が鮮やかに見える。レールに迫る雑木と草むらの乾いた葉擦れも、トンネルの入り口を侵食する苔の湿度も、存在の輪郭がはっきりと浮かび上がって見えるのだ。見上げた視線の先にある、都市伝説を語る文字列さえも。
「 《 伊佐貫いさぬきトンネル》 」
 錆びた金属板に書かれたそれは、犠牲者が踏み入れたとされる虚。 《きさらぎ駅》 同様に、存在しない構造物の名だ。
(都市伝説をなぞって進むか。線路を辿ってホームに戻って調べ直すか。後者は完全に賭けだけど)
 きさらぎ駅への不満に区切りをつけて、進路を定めるべく前後に視線を巡らせる。
 前方には 《伊佐貫トンネル》 。後方には ―― いつの間にか現れて、無言で真人を見据える片足の老人。加工された 獲物にんげんでもなく、都市伝説の内容と同じ姿から、これも心象の一部パーツなのだろう。
「書いてあったね。片足の老人が出たって」
 都市伝説と異なるのは、『線路を歩くのは危険だ』と警告を発しないこと。後方の進路を塞いで微動だにしない様相は、真人を前進させんとする意思を持っているかのようだ。
「……いいよ。進んであげる」
 真人は老人に背を向け、トンネルに向き直った。
「獲物にちょっかい出したのは謝るからさ。『長いトンネルを抜けると雪国だった』 ―― なんてのは勘弁してね」
 意外と長い付き合いになりそうだと、千切れたままの髪を風に揺らして真人は前進を決断する。
 生暖かい風に吹かれた雑草の騒めきだけが、闇に溶けていく真人の後姿を見送っていた。

「輪廻の蛇、夏への扉、愛に時間を、果しなき流れの果に、永遠の終わり ―― 」
 SF小説の名を口にしながら、レールの感触を頼りに歩く。暗然の退屈の中で薄れゆく時の感覚を、口にする作品達の題材が繋ぎ止めていた。
 タイムスリップ。
 タイムトラベル。
 タイムパラドクス。
 人間が描いた、時間をめぐる物語。
 それが今、真人の経験ものがたりに書き加えられた。
(ホームにいたのは、過去か現在いまのあいつ。未来のあいつが存在するなら、入れ替わった後も生き延びたって事だ)
 見逃されて、自力で脱出して、呪術師に助けられて ―― 何時か遭遇するであろう可能性の種が、真人の未来で芽吹こうとしている。
(踏み躙ってやるよ、厄介の芽)
 不快不愉快への仕返しいやがらせを考えれば、口元が愉快で歪む。きさらぎ駅での邂逅が未来に及ぼす影響は未知数だが、過去か現在の少年に言い放った『事実は小説より奇なり』だ。奇妙な再会の確信に、退屈で鈍った足取りが軽くなる。まるで、暗闇に光が浮かぶような ――
(……明かりと、人間の気配?)
 眼前は未だ暗く、トンネル出口から射す光ではない。振り返る背後から一歩一歩近づく光源は、見たばかりの人間の形をしていた。
「真人さん?」
 再会の確信はあったが、いくら何でも早すぎる。
 少年が、三度現れた。
「…………」
「やっぱり! 真人さんだ!」
 真人の沈黙は、早すぎる再会が齎したものではない。真人すら閉口するほどの、少年の魂の代謝へと向けられたものだ。
(敵意が無い。むしろ好意しかない。なのに)
 凪にして異様。重く、昏く、傷ましい静謐。
 例えるならば、濁った水面が囁く様。水底は泥々と澱が這い回り、水面に真人を映す度に歓喜し沸き立ち迫り来る。
(違う意味で厄介な代謝だ)
 真人を認識した瞬間こそ微かに揺れたものの、驚きであっただろうそれは直ぐに見えなくなった。
 少年は馴れ馴れしいほどの ―― 真人の常在が当然だと言わんばかりの ―― 平然で、歩みを止めず真人に接近する。油断ではない。彼にあるのは、絶対に攻撃を受けない確信、ともすれば傲慢とも呼べる自信だ。
「真人さん、魂の形変えてます?」
 至近距離に少年が立った後、彼の口から零れたのは問い掛けだった。
「変えるも何も、これが俺なんだけど」
「ああ、なるほど」
「自分だけ理解した気になるなよ、未来人」
 気付いた瞬間、先制で潰してもよかった。それでも真人が少年を攻撃しなかったのは、敵意の有無以上に利用価値の有無であった。過去と未来にきさらぎ駅と関わった少年が、脱出の手掛かりになるのではないか ―― と。
「すみません、真っ先に知りたかった事なので。でも、そこまで謎が解けているのなら話が早い」
 揺らがぬ少年の瞳に、解明の予感がした。
「そうですね…… “ここにいる真人さん” にとっての僕は、最も未来の可能性と言えるでしょう」

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